天皇のベトナムへの訪問は関係良好のサイン(2)



2005年には以前兵士だった日本人夫を持つベトナム人女性が日本に住んでおり、その彼女を通して、Xuan氏は彼女の夫が生きていて日本に住んでいることを知りました。その次の年には、すでに日本人女性と結婚をしていたXuan氏が調整して彼女の元へ訪ねました。

かなりの年月が立ちましたが夫にあえて彼女はとても幸せだったと語りました。

彼らが再会したときに彼女に流暢なベトナム語で「元気そうだね」と夫はXuan氏に言いました。

「元気よ、ずっとあなたを待っていたの。」と日本人の妻と訪れ、発作に倒れたあとの車椅子の夫に語りかけました。Xuan氏は再婚せず、夫は2006年に彼女の元を訪れた後何年かしてなくなりました。

Xuan氏の家族は一緒にいることはできませんでしたが、日本人兵士の最後の軍は1960年には北ベトナム共産軍により、家族を連れていっていいという許可がおりました。

しかし日本人兵士の息子であるHoang Thi Thanh Hoai氏の父親は彼のベトナム人の祖母の面倒をみるために留まることに決めました。Hoai氏と父親は彼らの親戚を訪ねるため6週間日本に滞在した1995年まで、彼の兄弟たちとは再会することはありませんでした。

Hoai氏は今43歳でハノイにある日本人向けの眼科で働いており、父親の兄弟たちに再会した後、彼らとコミュニケーションがとることができなかった様子を見て日本語を勉強することに決めました。

「日本語を勉強することは、2つの家族の掛け橋になることだと思うの。それがもっとひろがって日本とベトナムの掛け橋になればとも思っているわ」と彼女は語りました。

今日、日本はベトナムのもっとも関係が深い外国の支援者であり、投資家の1国でもあり貿易のパートナーでもあります。

またなおいっそう防衛と保証の分野で近年密接につながりがありますが、この二国間は現在中国との海事の論争の問題に直面しております。1月にベトナムへ訪れている間、安倍首相は新しいパトロールの船をベトナムに提供することを公約いたしました。

今度の火曜から始まる6日間の昭仁天皇のベトナム訪問は、二国間の関係性をより強固にすることを強調しているものでしょう。

Xuan氏は木曜に昭仁天皇に会う予定となっております。彼女にとって天皇に謁見する機会が遅れてやってきましたが、彼女はとても楽しみにしています。

「子供たちも年を取って、私はさらに年を重ねたわ」と夫と家族の写真で飾られている小さい家で彼女はそう語りました。「私の日本の孫たちをしっかりと育てられるような環境づくりと仕事ができる機会を与えるようにと、ベトナムと日本の政府にそう望むだけよ。」と語りました。

天皇のベトナムへの訪問は関係良好のサイン(1)


ハノイ・ベトナム(AP)ーNguyen Thi Xuan氏は日本人の夫に1954年にさよならを告げたとき、夫が一年か二年程度の長さの任務だと思ってお送り出していました。彼女がまた夫に会うまでに50年以上の月日がたつなんて予想もしていませんでした。

Xuan氏のように日本人兵士と結婚したベトナム人の女性の家族はたくさんあり、日本とベトナムの激しい関係性の犠牲となり離れ離れになった経験を持つ方もたくさんいらっしゃいます。

今日以前は敵同士であったものの、防衛と保障を含み、他の地域同様日本とベトナムは経済的に協力関係にあり二国間とも強くつながりを持っております。

Xuan氏を含め現在も生きている日本人兵士の家族や未亡人たちは今週に、初めて昭仁天皇がベトナムに訪れた時に謁見する機会があるとのことでこの二国間の関係性がどのくらいのものになったかは、明らかになるでしょう。

日本の軍隊は1940年にベトナムに侵攻し、日本が第二次世界大戦が終わる1945年に同盟軍に降伏するまでそこにとどまりました。

しかしながらXuan氏の夫は1945年にフランスの植民地支配から革命家リーダーのホーチミンが独立を宣言したあとべトナムにとどまり続けた700人の日本人兵士の中の1人でした。

日本人兵士はフランスと戦うためにホーチミンのベトミン(ベトナム独立同盟会)を養成しました。しかしベトミンが植民地支配をするフランスを1954年に打ち負かしたあと、彼らの家族を連れてくることはできずに、北ベトナムの共産軍を出発しなければいけない日本人兵士71人の中の一人がXuan氏の夫でした。なぜならば日本は冷戦の反対国側にいたからです。彼は二人の子供と29歳の妊娠した妻をおいていかなければならなかったのです。

「私は1年や2年かそこらの任務だと思っていたの。でもそれから彼に関する情報はいっさいなかったわ。」92歳のXuan氏は語りました。

6年間夫から音沙汰がなかったあと、彼女と家族は彼が亡くなったと思っていました。彼を祈るためにも彼女は祭壇を設置したほどでした。

Xuan氏はハノイの郊外の村の田んぼで働きながら3人の子供を彼女一人で育てなければいけませんでした。村人たちは彼女のことをXuan Nhat Japanese Xuanと呼び、日本人と結婚したことをばかにすることもありました。彼女の子供たちも同じように笑われていました。

「日本人の子供だ、ファシストの子供だと人々に呼ばれていました。たくさん差別もされてきました。でも今はましになりました。」とXuan氏の一番上の息子のNguyen Xuan Phiが語りました。

しかし1980年代中頃にベトナムの共産主義が始まり、1990年代初期に世界へ国交を開いたあとに、反日感情は消え始めました。